総合診療医 キャリアの軌跡

総合診療医がどこで何をしているか、どのようなキャリアを歩んできたかを一覧で示すことで、学生や医師のキャリアを考える助けになることを目指しています。変更や削除の希望、ご意見・ご感想は記事にコメントをお願いします。

87.東京 男性 医師5年目

出身大学はどこですか?
弘前大学


初期研修はどこの病院でしたか。また、初期研修のあと専攻医になるまでの経歴があれば教えてください。
青森県で初期研修修了、内科後期研修として2年間青森で研修後、卒後5年目から現在の後期研修プログラムに所属


所属、または卒業プログラム名を教えてください。卒業と現所属のPGが異なる場合、両方お書きください。現所属PGでトップページに振り分けます。
東京北医療センター 総合診療科


専攻医1年目の研修場所、研修内容(期間・目的など)を教えてください。
青森県の総合病院で内科後期研修医として3ヶ月毎に計2年間、専門科ローテートを行いました。初期研修で学び切れなかった専門科を回り、総合診療医として必要な「専門医に繋ぐまでの初期対応/紹介のタイミング」について集中的に学び、苦手意識を持たずまず診てみる姿勢が身につきました。

 
専攻医3年目の研修場所、研修内容(期間・目的など)を教えてください。
東京北医療センターで幅広い守備範囲の病院総合診療医として研修を行いました。専門科も揃っているため適宜フィードバックを受けながら主体的に救急外来から集中治療、外来フォローまで一貫して自分達で診ることが出来ました。


初めて総合診療医に会った、総合診療医のことを知ったのはどんな時でしたか?
初期研修は青森県の中でも地方の総合病院でした。内科の標榜科は消化器と循環器のみでしたが、その地区の全ての患者が集まっており診療内容は総合診療科そのものでした。


家庭医療(総合診療)専門医研修を履修しようと思った理由、総合診療医になろうと思った理由を教えてください。
疾患のバラエティの広さから毎日が新しい疾患・知識との出会いの連続で純粋に楽しかったことが一番です。総合診療医の存在は地域の患者さんにとってはもちろん、他科専門医の負担を減らす意味でも我々の役割はあると感じています。


進路選択で重視したポイントや、プログラムを選択したポイントは何でしたか?
守備範囲が広く、主体的に診療にあたれる病院を探しました。専門科が多いことも適切なフィードバックを受けられるため学びが多く重要視していました。なにより同じ志を持った仲間を探していました。


専攻医、総合診療医になる前に、心配だったことがあれば教えてください。また、不安がその後どうなったのか教えてください。
私が初期研修を行った青森県では初期研修修了後は主に専門科に入局、専門研修を行う流れがほとんどでした。周りが専門科に入局する中、内科後期研修を続ける疎外感・焦燥感は否めませんでした。しかし、いざ地元を出てみると内科後期研修を行なっている同志は数多く、今後地方の病院で総合診療医として働く上で体力がありガツガツやりたい今のうちに内科の基盤をしっかり築く、現在の研修は必ず役立つと確信しています。


家庭医療(総合診療)専門医研修を履修してよかったこと、総合診療をやっていてよかったことを教えてください。
毎日が新しい出会いとの連続で楽しく、飽きることがありません。加えて、commonな疾患に関しては一通り診ることが出来るようになります。当院では特にcommon diseaseに対してevidenceを基に診療を行うよう努めています。


専門医を取るに当たって、あるいは総合診療医として働いていてどのような障壁があります(した)か。また、それをどう乗り越えたか教えてください。
今後、高齢化社会が進むにつれなど患者一人を全般的に診る総合診療医が必要となることは明白です。しかし総合診療医の育成は始まったばかりで立ち位置がまだ確立されていないことも事実です。専門科主体で診てきた地域で、総合診療科をどう立ち上げ維持していくかが今後課題となると感じています。

 
今、力を入れていることや、今後やりたいこと、興味のある分野について教えてください。
科の垣根がないという意味で感染症科は総合診療科と親和性が高く、今後感染症科の研修を行いたいことと、総合診療医を増やす為にも後輩の教育と学会発表・論文執筆を含めた対外発信に力を入れたいと考えています。


家庭医療(総合診療)を志す学生や医師にメッセージや今後の意気込みなど一言お願いします。
今後、高齢化社会の中で総合診療医の活躍の場は必ず増えてくることが予想されます。同じ精神を持った仲間を私たちは常に探しています!是非当院で、そしてゆくゆくは地方で!一緒に働きませんか!