総合診療医 キャリアの軌跡

総合診療医がどこで何をしているか、どのようなキャリアを歩んできたかを一覧で示すことで、学生や医師のキャリアを考える助けになることを目指しています。変更や削除の希望、ご意見・ご感想は記事にコメントをお願いします。

33.東京 男性 医師29年目

出身大学はどこですか?
北海道大学


初期研修はどこの病院でしたか。また、初期研修のあと専攻医になるまでの経歴があれば教えてください。
東京慈恵会医科大学


所属、または卒業プログラム名を教えてください。(URLがあればリンクできます)卒業と現所属のPGが異なる場合、両方お書きください。お好きな方で振り分けますので、わかるようにお書きください。
なし


専攻医1年目の研修場所、研修内容(期間・目的など)を教えてください。
専攻医という言葉がまだない時期でしたが、それに相当する期間(すなわち卒後3年ー5年)は、国立東京第二病院総合診療科(現独立行政法人国立病院機構東京医療センター総合内科)にてレジデント(後期研修)。

研修内容は、総合内科外来および病棟研修および各専門科外来(皮膚科・眼科・耳鼻科・臨床検査・整形外科、小児科、産婦人科)研修1~3か月(これは3年目まで)。救命救急センターの初期対応および内科系疾患担当。自分が初診または救急で診療した患者さんは基本的に各科指導医のもとそのまま入院・外来まで担当。

3年目まで同様だが2年目に3か月間、慶応大放射線科にて3か月超音波研修をしました。


専攻医2年目の研修場所、研修内容(期間・目的など)を教えてください。
 
専攻医3年目の研修場所、研修内容(期間・目的など)を教えてください。
 
それ以降の勤務場所、勤務内容を教えてください。
東京大学医学系研究科大学院内科学専攻(腎臓内科)博士課程。UCLA総合内科のプライマリーケアフェローとして公衆衛生大学院入学、ヘルスサービス修士取得卒業。帰国後博士論文を仕上げ医学博士取得。東京大学医学教育国際協力センター(当時)で助手として勤務するも、その当初より実家の診療所を継承せざるを得ない状況となり、並行して実質上の診療所院長業務を開始。翌年、正式に継承しそのまま現在に至ります。


初めて総合診療医に会った、総合診療医のことを知ったのはどんな時でしたか?
書籍などを通じてその前から総合診療医のことは知ってましたが、実際には大学6年の時の家庭医療学研究会夏季セミナーで、川崎医大自治医大、佐賀医大総合診療部などの先生たちにあったのが最初です。


家庭医療(総合診療)専門医研修を履修しようと思った理由を教えてください。
進路を一つに決められなかったことと、実家がプライマリ・ケア診療所だったこと 


プログラム選択の際にどのように情報を収集しましたか?
まったく収集せず、たまたま目の前に現れた情報に何も考えずそのままとびつきました


進路選択で重視したポイントや、プログラムを選択したポイントは何でしたか?
実際に会った指導医の先生の印象が正直そうだったこと、家から近かったこと 


専攻医になる前に、専攻医について心配だったことがあれば教えてください。
当時はそんなわけのわからない研修をしたら死ぬ、すくなくとも医者キャリアとして終わりだと本当にいわれ周囲はとても心配してましたがさすがに死ぬことはないだろうし困ったらどのみち実家を継ぐか母校に戻ればいいやと思ってましたので自分自身はあまり心配してませんでした。でもお金のことだけは少し心配しました。


家庭医療(総合診療)専門医研修を履修してよかったこと、総合診療をやっていてよかったことを教えてください。
大変なこともありましたが、それ以上にワクワクする経験をたくさんできたこと。


専門医を取るに当たってどのような障壁があります(した)か。また、それをどう乗り越えたか教えてください。
専門医取ってない(というか物理的に取れない)のでわかりません。内科専門医(今でいう総合内科専門医)はとれました。


今、力を入れていることや、今後やりたいこと、興味のある分野について教えてください。
診療も教育も研究もこれまで同様続けますがそれに加えてふるさとでありクリニックのある地元地域で楽しいことを今後は自分が率先して仕掛けたいと思っています。


家庭医療(総合診療)を志す学生や医師にメッセージや今後の意気込みなど一言お願いします。
いろいろありましたが、振り返ってみるとワクワクすること(はらはらすることも…)ばかりでした。ぜひ多くの人にこのワクワクを体験してもらいたいです。